私が思う森氏発言の問題点は3つです。
第一の問題点は、「大事なときに必ず転ぶ・・・」発言です。
私がその発言を命令した彼の脳についてどのような性質だったのか考えてみました。
早朝4時過ぎに、日本でテレビを視聴していた多くの人は浅田選手のSP演技を観て、「あ〜」と声を上げてしまったことでしょう。その後、自宅を出て友人知人と会ったならば、「浅田選手、残念でしたね〜」などと会話したしたことでしょう。
友人との会話で「彼女は大事なときに必ず転ぶんですよ」と言う人は極少数派だと思えます。
講演の場で話を盛り上げようとしたとしても、普通は「残念でしたね」という言い方になるでしょう。
私が注目したのは彼が「必ず」というコトバを使ったことです。
「必ず」。 このコトバから推測できる森氏の脳(心)を考えてみると、ある職種の人たちとの共通点があるように思えます。
その職種の人たちとは、競馬など公営競技の予想屋さんです。
「必ず転ぶ」→「ほら やっぱり転んだ。私の悪い予感・予想が当たっちゃった」と・・・。
まあ、予想屋さんは「必ず」とか「100%」という断言的な言い方を回避していますが、発言当時、脳内の構造としては似たような性質だと考えられます。
予想屋さんは競技団体の関係者ではありませんし、選手や関係者とは一線を画しています。予想するうえで、選手に対して悪意を持っている人はほとんどいないでしょう。しかし、モノの言い方はあくまでも「上から目線」や「野次馬目線」です。
たとえ悪意がなかったにしても、応援・擁護の気持ちだったとしても、選手や関係者の気持ちが理解できない(選手や関係者の心(脳)と同化できない人が、競技団体・競技大会の中心人物たる資質に問題はないのだろうか。
ここが第一の問題点です。
第二の問題点は、「団体戦に出なければよかった」発言です。
これは競技の戦略戦術やその選手・コーチ関係者に対して、立場ある人間が越境しての発言です。「浅田選手をかばった」発言というよりもむしろ、他の選手・コーチらを批判していると受け取られます。
例えて言うならば、プロ野球コミッショナーが「日本シリーズのあの試合であの投手起用をしなければよかったのに」というのと同じでしょう。もしもそのような発言をしたならばどうでしょう・・・。その投手本人ばかりでなく、他の選手・監督・コーチを元気づけることとは反作用の効果しかないです。
さらには、森氏の立場を考えると・・・・。
「メダル・入賞の可能性が低い競技は軽視されてもしかたない」「力のない競技・種目には予算の配分も考えたほうがよいのでは」という思想も見え隠れしてくるようです。
もしもこのような考えにもリンクするようならば、オリンピックの理念「オリンピック憲章」の目指すところは乖離していく懸念が生じてしまいます。
このような発言をもたらす脳を有した人間が競技団体・競技大会の中心人物として適任なのでしょうか。というのが第二の問題点です。
第三の問題点は、リード選手に関するものです。
(他の方も指摘されていますが)私は、これを最も問題視すべきだと思えます。
そもそもラグビーの日本代表は日本国籍でない外国出身選手たちがいます。これは、同じところでラグビーをしている仲間ならばその国の代表選手になる可能性を有するということで、私にはラグビーの良さのひとつに思えます。
国籍という壁、そのような差別を取り払って「仲間」として迎えいれる素晴らしきスポーツ、ラグビー。その競技団体の長でもある彼の発言には失望せざるをえません。
浅田選手に対する発言に悪意はなかったかもしれませんが、リード選手については明らかに批判的です。
いつの場合も「上から発言」で、選手らと同じ土俵に下りてくることができない心を持つ人間を いつまでも「会長職」に留めていることに「残念感」が萎むことがない心境です。
●オリンピック憲章(一部)
スポーツを行うことは人権の一つである。すべての個人はいかなる種類の差別もなく、オリンピック精神によりスポーツを行う機会を与えられなければならず、それには、友情、連帯そしてフェアプレーの精神に基づく相互理解が求められる。
※私のガス抜き・・・ 失礼いたしました。