1899 E.B.クラーク氏により慶応義塾大学に日本初のラグビー部誕生
1901 横浜外人クラブYCAC 39(?)-5 慶応義塾大学
1907.11 .24 初の中等学校どうしの試合(太田中学(群馬)vs慶応義塾普通部)
1908 慶応義塾大学がYCACに初勝利(12-0)
1910 旧制第三高等学校(のちに京都大学に吸収合併)ラグビー部誕生
1911 同志社大学ラグビー部創部
1912 第1回慶同戦
1918 早稲田大学蹴球部創部(1924:ラ式蹴球部、1968:ラグビー蹴球部に改名)
1918 第1回全国中等大会(高校大会)開催(出場:全慶応・全同志社・京都一商・三高)
1921 東京大学ラグビー部創部
1922.11 .23 第1回早慶戦(慶大 14-0 早大)
1922 明治大学ラグビー部創部
1923 立教大学ラグビー部創部
1923 第1回早明戦(早大 42-3 明大))
1924 法政大学ラグビー部創部
1926 日本ラグビーフットボール協会設立
1927.07 早稲田大学豪州遠征、帰国後慶大に国内チームとして初勝利(11.23)
1927.12 明治大学上海遠征
1928.01 京都大学、慶応・早稲田を破って全国制覇
1928 関東五大学対抗戦スタート(慶応・明治・早稲田・立教・東大)
1929 明大、慶大に初勝利
1930 日本代表 初遠征(カナダ)
1932 日本代表 初テストマッチ(日本 9-8 カナダ)
1933 東京商大・法大が加わり関東七大学対抗となる
1937 明大、公式戦43連勝スタート(67-0 YCAC)
1943.10 学徒動員令、出陣学徒壮行試合
1945.12 国内公式戦再開
1946 関東大学対抗戦再開
1947 秩父宮ラグビー場完成
1949 全国社会人大会スタート
1952 早慶、試合数を減らし(7→5or6)日大、中大、法大との対戦に応じなくなる
1954.09 明・日・法・中・教育大(現筑波大)が五大学リーグを協会に申し入れるが、
のちに協会の仲介で白紙撤回
1954.12 日大、慶大に初勝利(29-11) このころ慶大は日大・法大と隔年対戦
1955 日大、早明を下す(慶応とは対戦なし、日大・慶大ともに全勝で全日程を終える)
1956 明大・中大・早大ともに1敗で同率首位となり、対戦方式の改革が求められる
1957 関東大学、AB二部制による総当たり+伝統の対抗戦という方式を採用
1958 日体大・防衛大がBブロックに加盟し14校体制
1960 慶大Bブロック転落(0勝4敗2分)
1961.01 .29 第1回NHK杯開催
1961 慶大Bブロック全勝優勝、Aブロック優勝の明治にも勝利(13-9)
1961 早大Bブロック転落(1勝5敗)
1962 早大Bブロック全勝優勝、Aブロック優勝の明治にも勝利(17-8)
1963 関東大学二部制廃止、義務四試合+選択三試合以上の変則対抗戦となる
1964.02 関東大学14校を対等な2ブロックに分割することを決定
(A:法・日体・中・教育・防衛・成蹊・青学、B:日・早・慶・明・立・専・東)
1964.03 .20,22 第1回日本選手権開催(大学・社会人各2チーム出場)
1965.01 東西学生大会(後の大学選手権)開催(優勝:法大)
1965 関東大学ブロック編成替えで大学間に感情的対立、対抗戦方式にもどる
1965 学生選手権(後の大学選手権)関東代表選考で勝率のよい青学・中大が漏れる
1966 早・慶・明・日体・東大との対戦がない法大が八戦全勝
1967 法・日・中・専・防衛・東洋・国士舘・大東による総当たりリーグ発足
1968.06 .03 日本代表、オールブラックス・ジュニアを破る(23-19)
1968.07 対抗戦グループとリーグ戦グループに完全分離
1968.12 大学選手権関東代表決定戦実施、翌年から関東大学交流試合となる
1969 WTB坂田好弘、NZ大学選抜・カンタベリー州代表に選ばれる
1969 早大、対抗戦60連勝スタート
1971 トライの得点が3点から4点に
1971.09 .28 イングランド 6-3 日本(於:秩父宮)
1972.01 .15 早大、日本選手権2連覇(14-11 三菱自工京都)
1973 早慶戦で早大FB植山がインサイドキックを披露
1977 早大、対抗戦連勝60でストップ(17-34 慶大)
1979.05 .13 イングランド 21-19 日本(於:花園)
1980 同大、大学選手権初優勝(11-6 明大)
1981.01 第60回高校大会、伏見工業初優勝(平尾誠二、7-3 大阪工大高)
1982 早明戦で国立競技場に有料入場者数66,999人の記録
1983.10 .22 ウェールズ 29-24 日本(於:カーディフ・アームズパーク)
1984 同大、監督制度廃止
1984.10 ドラマ「スクール★ウォーズ」放映開始
1985.01 新日鉄釜石、日本選手権7連覇・同大、大学選手権3連覇
1986.01 慶大、抽選で日本選手権出場、初制覇(18-13 トヨタ自動車)
1987.05 第1回ワールドカップ開催(優勝:ニュージーランド)
1987.10 オールブラックス来日(10.25 74-0, 11.1 106-4)
1987.12 .06 雪の早明戦(早大 10-7 明大)
1988.01 .15 早大、16年ぶり日本一(22-16 東芝府中)
1989.05 .28 日本 28-24 スコットランドXV(於:秩父宮)
1990 明治、対抗戦50連勝スタート
1991.10 第2回ワールドカップ開催(優勝:オーストラリア)
1992 トライの得点が5点に
1993 交流試合廃止、大学選手権出場16校に拡大
1994.11 神戸製鋼、公式戦71連勝でストップ(24-25 ワールド)
1995.01 .15 神戸製鋼、日本選手権7連覇(102-14 大東大)
1995 社会人大会にプール戦導入、大学選手権・日本選手権日程変更
1995.05 第3回ワールドカップ開催(優勝:南アフリカ)
1995.06 .04 日本代表、ワールドカップにおいて歴史的大敗(17-145 NZ)
1995.08 IRFB、アマチュア規定の撤廃を決定
1995.09 .19 大西鉄之祐氏 死去
1995.11 明治、対抗戦50連勝でストップ(26-28 筑波)
1996.01 .28 神戸製鋼、8連覇ならず(20-20 トライ数でサントリーが準決勝進出)
1996.02 .11 社会人決勝でサントリーと三洋電機が引き分けで双方初優勝
1996.02 .18 大雪のため、日本選手権が初の順延となる
1996.05 パシフィック・リム選手権始まる
1996.05 .28 北島忠治 明治大学監督 死去(95)
1996.06 バーバリアンズ来日(阪神淡路大震災復興支援)
1996.12 .29 木本建治氏 死去(56)
1997.02 日本代表監督に平尾誠二氏が就任
1997 関東大学対抗戦がA・Bの二部に別れて総当たりを行う方式となる
1997 日本選手権の実施方式が変更になる(社会人 3、学生 2 の変則トーナメント)
1998.01 関東学院大学、大学選手権初優勝(30-17 明治大学)
1998.05 .30 綿井永寿 前日体大学長 死去(69)
1998 日本選手権の方式さらに変更(社会人、学生各4チームのトーナメント)
1999 香港セブンズで大畑選手がMVP獲得
1999 日本、パシフィック・リム選手権初優勝
1999.10 第4回ワールドカップ開催(優勝:オーストラリア)
1999 日本人初のプロ選手誕生(村田亙:専修大→東芝府中→アビロン・バイヨンヌ)
1999.11 .27 仙波優選手(関東学院大→トヨタ自動車)、交通事故で死亡
2001.04 元日本代表・柯子彰(か ししょう)氏 死去
2001.05 日本協会、初のプロ契約選手を発表
2001.06 03 サントリー、ウェールズを破る(45-41)
2002.09 .26 元日本代表 パティリアイ・ツイドラキ氏 死去(33)
2003.01 .25 全国社会人大会が第55回で幕を閉じる(優勝:サントリー)
2003.04 スーパーパワーズカップ始まる(日本・アメリカ・中国・ロシア)
2003.09 ジャパンラグビートップリーグ開幕
2006.06 .17 元日本代表監督 宿沢広朗氏 死去
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